ciqpo

移転しました(戻ってくるかも)


3/30(wed)

思い出の中に逃げこみたい気持ちはやまやまでも、思い出の中だけで生きるには後悔が多すぎて、前にも、後ろにも。だからしゃがむ。自分の足元をよく見たら、これを書くことに思い当たった。

こうしているあいだにもいろいろなことは進んでいく。それをしかたないと思う自分と、こんなはずじゃないと思う自分とがいて、こういうときはいつだって一緒だな、と、想起なのか予言なのかわからないようなことを思う。そろそろ電力の無駄遣いをやめてしまえばやがて朝が来る。今日と同じじゃない夜を今のうちから見つめると、自分が映っていた。つぎに住む家はすりガラスの窓がいい。


3/22(tue)

昼に泥のように眠りたい、と思いながら夜になれば眠れなくなる理由を自前でこしらえて、寝不足で気乗りしない朝をただ待つばかりの繰り返し。それがよろしくないことなんか自分がいちばんよくわかってる。

一人でいるのは得意な方だけど、一人でうまく過ごしているのに気づくと途端にだめになる。あらためて呼吸の仕方をさぐってみるとうまく息が出来なくなるのに少し似ている。

つなぎとめようと思うのが身勝手で、手放そうと思うのも自分本位で、つまりは思いやる方法を忘れてしまった。「いつもそうだね」と言ってくれる人が自分しかいないのがわたしの人生の失敗だったかもしれない。


3/21(mon)

身辺整理に掃除してるけど、なかなか捨てられないものが多くて困る。一日一日過ぎるたびに生き永らえてしまったと思い、それはみんなそうなんだよと思う。恥知らずだと思えば、恥をかかずに生きてる人などいないと思う。それでも立派な人は確かにいる。自分がただそう生きられないだけだ。


3/6(sun)

カバンの中で冷えた万年筆は、きっと世界の体温なのだと思う。握るうちにあたたかさを取り戻す。熱は高温部から低温部へと流れるという摂理が、いつかこの心すらあたためればいいと思った。

存在は誰かの比喩でありたい。これから訪れる春も、当たり前に過ごす未来も、手に入れられなかった過去も、出逢ったことのないあなたすらも肯定する、それがわたしの理由でありたい。


変わり果てた。それでも、季節を、木々を、足音を、缶コーヒーを、笑顔を、思う心を想うことに、何も変わりなどありはしない。大したことではないと思うし、本当に大したことじゃないのだろう。


10/1(fri)私は、

自分の価値観を変えてくれるものこそが自分にとって重要なものであって、そうでないもの、つまり自分の予想の範囲内に収まるものには注意を払ってこなかったが、それはまちがっていたかもしれないなあ。早計な自分のことを、恥じるばかりの日が続くよ。

恥の上塗りになろうとも放り出さずにいることは、そのまま誓いと祈りになるだろうか、と、神のいない世界のなかで信仰を再発見したような気分に至る。本当は神も宗教もどうでもよくて、ただこの街のどこかに、あなたがいてほしい。


9/16(thu)

雨の振った日、充満していた自信みたいなものも排水口に流されていってしまった。自信じゃないかも。世界はやさしくできているって勘違いだったかも。

「あなたはそういうわけにはいかないのよ」。母親にだってそんなこと言われたことなかった。いい人に雇われたなと思った。でもタイミングは最高に悪かった。

換気扇の音ばかりが気にかかる。コーラを飲んだら口の中がぬるぬるする。

もうちょっとで明日になる。子供みたいな気持ちだ。


9/3(fri)

なるべくひとのことを言わずにやっていけたらいいなあ、と思っている。しかしそれを人に求めると自分が苦しくなって、けっきょく心のなかではひとへの不満で溢れてしまう。

初心者か、と思った。人の心はどうすることもできない。そんなの何年前に気づいたことだろう。大切なのは自分の心を制御して、雑音をなるべく聴かないようにしながら、今いる場所でやるべきことを淡々とこなすこと。そんなふうにむかし決めたことを思い返してみて、いや、いまはちょっと違うのかもしれないなと思った。わたしは今になって人とつながったり人を信じたりしたいと思っているのかもしれない。

ばかばかしい、と答えても、やってみようかな、とつぶやいてみても、何かが終わる気がしてならない。でもそんな振り幅のある振り子の重しになって、世界のすみで宙ぶらりんになってみることは、ちょっとだけ面白いかもしれない。


7/10(sat)

内臓の疾患で6月半ばから入院している。一生治らない、と言われたときはこの拷問のような生活が一生続くのかと思って悲観して何度も泣いたけど、もともと生きていること自体が拷問だと感じる向きもあり、それで気持ちはだいぶ誤魔化された。

痛みはだいぶ落ち着いている。しかし、毎晩熱を出す。体内の炎症のために、身体が防御反応として発熱する。常時37度台の熱が続き、なぜか夜に毎晩38度台まで熱が上がる。

まるで、煮沸消毒をされるおしぼりになったみたいだ、と思う。わたしの身体は自分を燃やして自分の毒をさらにしようとしている。病院食がおいしくないのもあって、ものをあまり食べなくなった。まっさらに、空っぽに、今わたしはただ水分を入れては排出するチューブか、外気を絡めとっては毎晩消毒されるフィルターかくらいの価値しかない。このまま植物になりたい。そんな思いも、消毒されちゃうんだけど。


5/29(sat)

ここに来ることを、ずっと忘れていた、というわけではない。この語り口を出す必要がなかっただけ。そういうことだと思っている。

樫村晴香が性格や人格とか呼ぶべきものを「症候」と呼んでいたのを思い出すけれど、ここで、この語り口で書く自分のことは、こういう体裁の「症候」なのだと思えるようになった。以前は「症候」なんてとんでもなくて、ここで書くことこそが自分の本質なんだと信じきっていた。しかし、歳をとって、いろんな人と話し、いろんなことを思い、いろんなことをはじめたりやめたりすることで、人格や性格は尊重するべきアイデンティティではなくて、自然発生し自然消滅する泡のようなものだということがわかった。ひとつひとつの泡に固執する必要はない。ただの泡なのだから。

しかし依然として、この症候が泡のようにふつふつとわきあがることはある。おそらく生きる環境や状況が急激に劇的に変化しない限りは、この体裁の症候をもったわたしというのはいなくなってしまうことはなくて、だからこの場所はなくならない。

昔の自分ならこの変化そのものをかなしいものとみなしただろう。今は心からそうは思わないけど、そういう、いつでもたったひとつのことがすべてだった自分を懐かしく、ただ思い返す。


6/25(thu)

ああっこうやって、ままごとみたいな生活を続けていくんだな。それがほんとうのことだって言い聞かせながら、時折こうやって、やっぱり変だなって苦笑いするしかないんだな。そうやって死んでいくんだ。それだけのことだ。

今ここにある現実、それは、非現実。声も出ないよ。


6/08(mon)

twitter


2/26(thu)

「グラウンドに恋愛を持ち込むなよ」。そんなことができるほど器用に生きられないのが若さというものなんだと思うし、そんなことをしながらも様々のことをできてしまうのが若さゆえの器用さなんだとも思う。

でも結局、そういうことなのだ。ビスケットを頬張りつつ、花瓶の花を眺め、手櫛で適当に髪を梳いたらどこかへと出かけるだろう。君のことをきれぎれに思いながら。それだけがわたしの生きてきた証。これからもそう変わらないであろう生き方。そんなものでいいんじゃないか。詰められてないかな?これは不安かな?どうだろう。わかる必要があるのかな?さあね。


1/19(mon)

2008年12月17日13:34

きのうメールが届いた瞬間、登録されてないけど見覚えのあるアドレスを見た瞬間から気持ちは絶望的なものになった。用件は、わかった。自分の撒いた種だ、これは避けられないことだ、と理解しつつも視界が歪むような恐怖があった。


きょう久々に腹痛で目が覚めて、念のため飲んだ薬さえ効かなかったことに気づいた。いつもならそこで動けなくなるけど、きょうはその痛みによって生きていくことに逃げ場などないのだという気持ちになった。折れそうな意識で1限に出た。


ふらふらになって帰ってきて、玄関先の大きなゴミ袋を浴室に押し込んだ。深夜まで掃除をして、ゴミ溜めみたいな部屋を完璧な生活空間にまで再現したのだ。いつも、目聡かったあなたのことだから、私や私に関係するすべてのものからさまざまなことを気取っていくのだろう。そう思ったから、何一つ妥協なく片付けたし、また――そう思っていたから、以前の私は完璧であろうと努力したのだった。そんなこと、できるわけなかった。ただただ24時間区切りでスイッチが切れて、次考えられるのは24時間先のことまで。その程度のことしかできない自分について理解していなかった。あるいは理解しようとしなかった、無理やりにでも変えようとした。そういうことに疲れてしまった。人と出会うことは自分を変えることだ。だからやっぱりもう誰かを愛することはできないよ、いま自分の輪郭を、忘れてしまったら、二度と戻ってこられないと思ってしまうんだ。


気づいた。わかってるんだ。こうまでしてあなたの事実に依拠しないでとにかく負の言葉を並べ立てるくらいに私は本当にあなたに会いたくなかった。うんざりするほどの量の言葉が前頭葉を通過する。少し眠る。メールの着信音。チャイムの音2回。歯を磨いた。


チャイムの音1回。ドアの向こうにあなたがいた。視界の端にうつった空の色が、冬なのに毒々しいくらい蒼かった。


「ちゃんとごはん食べなよ」


きれぎれに会話を交わす。ずっと、ノブをかたく握っていた。ここが最終絶対防衛ラインだとでも言わんばかりに、眼と口と以外は動かさなかった。5分も経たずに、もう紡ぐ言葉がないことにお互い気がついた。


「体には気をつけて」


そうあなたの背中に向かって言った。少し振り向いて、そのまま歩いて行った。ドアを閉めてベッドの上にくずおれた。もう限界だった。強い痛みがあるわけじゃない。でも押し潰されそうで、立っていられなかった。


わかりあえなかったのにわかりあったような別れ方をしたくない、そんなふうに思っていた。だから私にとってあなたは恐怖の対象でしかなくなった。これからもずっと、たとえば演奏会に行くときは何かしらの覚悟をしていくだろう。それはこれから飛び降り自殺をするという人が抱くものとそう変わらないのだろうとも思う。


過去は消えないし失ったものは二度とかえらない。でもそれを理解してなお生きている。学術的にはわかっていたけれども、いまなら自分のこの実感を頼りに言える。真実など存在しない。事物の総体における真実の全集積が神だという。あの人と私のこういう結果を知ってて出会わせたのなら、神さま、あんた、何もわかっちゃいないよ。あんただって世界の機能の一つにすぎないのさ。


唾でも吐きかけてやりたい。世界と、その世界を受容できないからって投げやりになってる自分に。何もかもが嫌になった。それでもこれから電車に乗って兵庫まで練習に行くし、帰ってきたら卒論を書く。明日は授業のあとに就活をする。生きることに価値を見出してる?そんなわけないだろう。無価値でも生きていけることを証明する?そんな殊勝なことも考えないさ。ただ生きているから生きていく。それだけのことだ。


光り輝くコップにコンビニのカフェオレを注いだら泥水のような色をしていた。甘い泥水を啜って、静止したかのように思われた時間のぜんまいを蹴り上げて動かす。くだらないことはもう全部終わりだ。


そして2009年1月19日。きょう。過ぎ去ったものに対する気持ち――過去にしてしまえばどんなことも当事よりは色あせて、かさぶたの上から傷をさするようにさしたる痛みも感じなくなるという考えは変わっていなし、そうすることでしか対応できないものごとも今後いくつかあるのだろう、そう思う。そしていつかそういう対応をする自分を見て、時を経ても変われないことを嘆くであろうことも、想像がつく。

けれども――何度も何度も失敗した考え方だけれど――わたしは結局誰かと生活の見通しを立てながら生きていきたいのだ。「失敗して、考え方を変えたからって状況が変わる確証があるわけじゃない」などと、ひらきなおって妙な楽観をするつもりはない。「今度こそ」とももちろん思わない。ただ、他ならない君と寄り添っていたいだけ。安易な言葉、ままごとみたいな行為、そんなことも気にしない。ぎょうぎょうしい考えはもういらない。ただ、君が好きっていう、それだけ。




サイト上での返信はイヤ→


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送